あの惨劇から5年、フレディの生命を繋ぎとめていた央魔の血の効力は尽きようとしていた。

――― 大丈夫だ。死ぬのは初めてじゃない。
――― むしろ前回より猶予がある

 フレディの行動は落ち着いていた。フレディ自身、よくぞここまで落ち着いているものだと思う。
 村は残酷にも合理的に、祓い手の誰がいつ突然死しようと支障をきたさないシステムを持っている。次期大老師候補とはいえ、例えフレディが死んでも村の機能がとまることはない。
 死に備えるフレディがすべきことはたいした多くはない。
(まず仕事の引継ぎ。遺言には今後の村の方針の希望と…)
 調査段階にある祓い手の仕事について、現段階までの状況と見解をまとめる。任務の前には必ず遺言を書いておくことが義務付けられているため、この歳にして遺言の書き方は慣れたものだ。
(二人については――――)
 自分がいなくなった後のレナとアーウィンはどう生きるだろう?村での処遇はどう変わるだろう?村人達を信頼していないわけではないが、自分の死因について上手くごまかさなくては辛い処遇を受けることになってしまう。
いつ死のうか。任務中はともかく村で穏やかに過ごしている中で死を迎えては明らかに不審死だ。けれど許す時間の限り、大切な人々と穏やかな時を過ごしたい。
 ああ、そうか。死まで間があるということは、大切な人との時間を自ら幕引きしなくてはならないということだ。
 書面をまとめながらそこまで考えたところでぽたりと雫が机を叩いた音がした。
「…………あれ?」
 紙と机の上にだけ、天候が崩れだした時のように雫の落ちた箇所が増えてゆく。その雫の正体が涙だと気づくのに時間がかかった。
 感傷に浸るより前にノック音がした。扉は返事を待たずに開く。
「フレディ」
「わあっ!!」
 レナだった。まだ涙も拭いていないのに、一番涙を見られたくない存在の急な来訪に慌てて身を翻し背を向ける。

「ねえちゃん!急に入ってこないで!」
「ご、ごめん………あのね」
「出てって!!」
余裕のなさに声を荒げてしまう。違う、こんな言い方をしたいんじゃない。ほんの少し、涙をごまかす為の時間が欲しかっただけなのに。
「……村の皆とパイを作ったからお裾分けにきたの………よかったらあとで食べてみて」
 レナの顔を見なくても落胆していることがわかった。
 パイを乗せたトレーをドアの側のサイドテーブルに置き静かに扉を閉めて立ち去っていく。足音がフレディの胸をしめつけた。

(何やってんだ……こんな時こそ大切にしたいのに)
 何故?なにをしているのだ。自分はもっと上手く立ち回ることが出来ていたはずなのに。どうしてこういうときに限って。
(謝ろう、すぐに。距離を置きたくなんかない)
 フレディは立ち上がりレナの後を追った。まだ遠くに入っていないはずだ。扉を開けてすぐ、先を歩いているレナを見つけた。
「姉ちゃん!」
「! ……フレディ」

血を  もっと  血を 

 こんな時にも全身の血の蛮声は止まらない。鬱陶しい。体の痛みや息苦しさでまともに走れない。早くレナの元へ駆け寄りたいのに。

血ヲ  モット  血ヲ 
央魔の血は 魅惑の血 不老と強力な力

 いつもの血の声に今はこの世にいない女の声が突如混ざりだす。
 何故今、彼女なのか?構わず声を発しようとして、目の前のレナの姿がぐにゃりと歪んだ。

「俺」
―――――――――― ドクンッ
「は……」

 一際大きく心臓の音が鳴る。
 まともに声が紡げない。いや、息すら出来ない。
 次にフレディの視界を埋めていくのは、黒一色の世界。
「フレディ!!」
 蒼白した顔のフレディが前へと倒れだしレナは慌てて駆け寄った。

神は何故この世の理に央魔を組み込んだのかしらね?

脳の奥で、今まで出会った誰よりも邪悪で強い血の匂いをまとった女の声がする。
広がる闇の世界はフレディの記憶と結びつき、5年前の惨劇の中のある出来事を再演させた――――――――――