あの惨劇から5年、フレディの生命を繋ぎとめていた央魔の血の効力は尽きようとしていた。

 レナは遠ざかるフレディの背中をじっと見送っていた。
 メリィの話を聞いていないわけではないが、ほとんどが生返事だ。
 メリィもメリィでその反応を楽しんでいる。冥使と人間の恋にまったく問題がないわけではないが、レナとフレディの仲を彼女は微笑ましく見守っている。今のレナの様子はフレディを恋しがっているかのように見えたのだ。

「なぁレナちゃん、このところ毎晩ちび様の部屋に通ってへん?」

 ひやかしの問いに返ってきたのは、真剣でひどく悲しそうな声だった。

「うん、心配で……フレディ、ここ最近、ずっとうなされてるの」

 部屋の前を通りかかればドア越しでもはっきりとわかるほど、フレディは酷く苦しげなうめき声を上げている。
 何度揺すり起こそうとしても気付かない。
 当初はそんなフレディの様子にアーウィンに助けを求めたが、その時はフレディの苦しみは悪夢だけだったのだ。
 目が覚めたときに慌てるレナとじっとフレディの顔を覗きこむアーウィンが側にいてフレディはキョトンとした。
 その表情にアーウィンはわかりやすく大げさなため息をつき、呆れた声で気にすることはないとレナに告げた。

 悪夢に苦しんでいる者にはただ手を握っていてやればいい。
 そして目が覚めたときには優しく現実に迎え入れ、それが悪夢であると理解させてやればいい。

 単純にフレディが悪夢を見るたびに呼び出されてはたまらないと判断したのかもしれない。
 人を(特にレナを)ねちっこい言葉でいたぶるのが趣味のこの冥使は時々何かを思い出しながら優しい言葉をくれる。
 以来レナは悪夢に苦しむフレディの隣にそっと寄り添い、明るく振舞って朝の世界に迎え入れている。
 しかし最近は明らかに様子が悪化している。
 それでも自分は他に何をしてやればいいかわからない。
 フレディに聞いてもはぐらかされるばかりだ。
 彼が自ら、苦しいと言ってくれるのを待つべきだろうか?きっとそれでは遅い。

 大丈夫だ。今は相談できる相手がいる。

「皆の前では気丈に振舞っているけれど、きっと今この瞬間も苦しいんだわ」

      *    *    *

 アーウィンは屋敷でも最も奥の部屋を私室としている。
 その部屋は初代フレデリックの家族と住まう部屋とは別に構えたプライベートルームだった。
 その部屋をアーウィンが使えるよう取り計らったのはフレディだ。

 5年前の事件後村に訪れて尚アーウィンは初代と深く縁のあることを話さなかったが、村で保護した央魔に従える者以外で村の勝手を知ったる上級冥使は、初代の手記で頻繁に出てくる『彼』『親友』と書かれていた存在だけだ。
 もともと部屋は初代亡き後、誰もが「そこに住まうのは恐れ多い」と骨董品のように扱われ、近年ではフレディが暇があれば入り浸る空間になっていた。
 アーウィンにはこの部屋を提供する代わり、長年の知識と経験・冥使の視点から見解を提供してもらっている。
 それは祓い手の任務の大きな後方支援となっている。
 『村』のプライドのようなものや冥使の危険性から反対する者がいなかったわけではないが、村人の誰一人知らなかった隠し本棚の存在を明かし、出現までのその複雑な手順をいとも簡単に行って見せ、本棚にあった本の一つ一つを中身も開かずに説明して見せたのだ。
 初代との親しさと、この部屋で過ごした時が長かった証拠だ。『村』の意思としては当の昔にあの初代が許していたことを覆せるわけもなく、この部屋にあふれる情報など、隠すどころか既に熟知されているときた。何もかもが今更だ。

 アーウィンは屋敷のどの掃除係よりも綺麗に細かに掃除をし、誰もが首をかしげる珍品の正体も扱いの難しいデリケートな品の手入れの方法も理解していた為、部屋の維持も完璧なものだ。
 フレディもよく任務に関する相談や本(特に隠し本棚にあった本)を借りに来ているのでアーウィンがこの部屋を使うことに今は誰も文句は言わない。
 そう、この部屋にフレディが訪れることを不可思議に思う者は誰もいない。

 フレディはこの部屋の三人掛けのソファでぐったりと身を横たえていた。
 体が重く、頭が内部から刮げるような錯覚すらする。
 夢の中のように全身の血の巡りを気色の悪いかたちで感じ、体がひび割れそうだ。
 この部屋と現部屋の主の前では気丈に振舞う必要がない。
 このところ続く苦しみの中、それが救いだった。

「限界が近づいているんだろう」

 フレディがレナの血を授血した事実を知っているのは当人達とアーウィンだけだ。
 といっても頭を使うことが苦手なレナは授血がどうこう言ってもその影響についてすぐに想像を働かせることが難しい。
 彼女の前でこんな姿を見せたくはなかった。
 悲しませるだけだ。
 そんな必要もないのに責任を感じ自身の血と身を呪うだろう。

「一度死んだ体だ。央魔の血の効力なくては命が危ぶまれる。………血を求めるか?」

 アーウィンはタオルだけは渡したが看病はしない。腕を組み、いつも通りに座っている。
 しかし平時であれば無意味に部屋を訪れたり長居すれば鬱陶しがって追い出すが、今はそれをしない。

「そんな事したらにいちゃんだって黙ってないだろ。安心しなよ。祓い手としてそんなことは絶対しねえ。何より」

 アーウィンが聞きたいのは血を求めるか否かではない。
 その先の意志なのだ。
 それがわかるから苦しく重い身体を起こし、身体の苦痛により歪みはするが出来るだけ不敵な笑みを作って宣言する。

「レナが傷つくような事、俺がしてたまるかよ」