夢の終わりは、白一色だった。
「おはよう、フレディ」
正確には白い白い肌の色が目の前にあった。
レナがフレディの顔を撫でている。ちょうど目元に手が置かれたときに目覚めたので白一色に映っただけだ。
鼻腔に花のにおいがくすぐる。夜行性である冥使の活動時間には大抵の花は光合成から呼吸に生命活動を変え蕾を閉じている。
それでも一人の女の子として花を楽しませてやりたくて、レナの部屋には絶えず切花が生けている。
最近では花の香油がお気に入りらしい。花のひとつの楽しみ方ではあるが、14歳のまま成長の止まった彼女が少しでも大人の女性として見せたい心が働いているようにも思う。
「ねえちゃん……男の部屋に入ってくるのは――――」
非常に良くないと思う。
レナは人の生活に合わせたがってはいるが、まだまだ昼間は就寝時間だ。アーウィンほど人に合わせた生活に慣れてはいない。
早朝にこの部屋にいるということは、また夜中から部屋に入っていたに違いない。
以前、これから日が昇ろうという時間に不意に目が覚めた時にレナが隣にいて驚いたことがある。
ひどく眠そうな声で「おはよう」と声をかけられたかと思えばまだベッドに横たわる自分に覆いかぶさって眠りにつかれた時はどうしようかと思った。
横たわっていなくても、ベッドの隣に椅子を置いて机に伏すように腕を枕にして隣で寝ていたことがたびたびある。
夜中に何もすることがないのはわかる。
でもだからといって時折人の寝顔を覗きにくるのは勘弁してほしい。
もちろん何度もそれは伝えたが、意に介してもらったことはない。今回もまた話をさえぎられた。
「ね、もうすぐ誕生日よね?プレゼント何がいい?」
レナは村の監視下にあるため、内緒でプレゼントを購入しに行くことは出来ない。
外出許可は結局フレディの耳に入るのでこうして聞いてくるようになった。
しかし今はそういう話をしたい訳ではない。
「ねえちゃん、聞いて……」
「はい、フレディ。牛乳♪」
「…………」
悪戯めいた笑顔で差し出される牛乳をフレディは少々自棄気味に飲み干すしかなかった。
* * *
レナと出会って5年。明確には6年近く。
フレディの誕生日はレナの誕生日より少し早い。
あと数日でフレディは18になる。
大老師を継ぐのはまだ更に数年必要であるが、年を経るごとにフレディは周囲に敬称を使われるようになっていった。
『村』の集合住宅とも言える屋敷を歩けば少しの距離でも村の人間に出会う。
隣を歩くレナを蔑ろにするわけではないが、村人はまず『様』をつけてフレディを呼んだ……
「おはようございます、ちび様」
「ちび様、おはよーございまーす!」
「よう、ちび旦那」
「ちび様かっこいい!」
「ちび様素敵!」
「ちび様汗臭い…」
「ちびって言うなあああああああああ!」
「レナちゃん、おはよーさん♪」
フレディの心からの叫びはあっさり無視される。
いつのころからかついたあだ名の示すとおり、フレディはまったく成長していない。
今の年齢は17。
だがフレディは12の頃からほぼ変わらぬ身長だった。すぐに追い越すと思われていたレナの身長すら超せずにいる。
当初はなんら苦でもなかったあだ名が今はつらい。
まぁ、からかわれているということは大老師の座が近づこうとこれまでとなんら変わらず慕ってくれていることの証ではあることをフレディ自身も理解している。しかし今の時期ばかりはこの『ちび』という言葉に敏感だ。
誰となく横線が幾本かついた柱を見た。
遠く日本では柱の傷と呼ばれるそれは、アーウィンが(嫌がらせで)つけたフレディの成長記録だ。
「もう時期アレが待っておりますからなぁ」
毎年誕生日につけられるそれはフレディの焦りの象徴ともなった。
数年前は余裕な顔をして、時には成長期を迎えたあとの自分を想像して眺めることのできたそれは、昨今では「お前の成長期はすでに終わった」と常に宣告しているようだった。
「なぁに。あと2年もすりゃ諦めもつく」
「大丈夫ですよ。毎年1cm弱は伸びているではありませんか」
「お前ら慰める気ないだろ!?」
むしろ毎年1cm弱は伸びている事の方が問題だ。
昨年と一昨年では3mmしか変わっていなかった。
己の成長の振り幅の限界が近づいている。
かつて己の身長はこれ以上伸びないと知ったレナが、俺には成長期が待っていると余裕を見せたフレディに「牛乳は飲んじゃダメ!」と叫び、その後本当に半年ほど牛乳を飲ませてくれなかったのが、今では毎朝牛乳を渡すほどになった。
それは心配からではなく明らかにフレディに対する余裕だ。
「いいのよ、フレディはそのままで」
「目星つけないで」
ここかしら?それともここかしら?
今年の柱の傷の位置をチラッ、チラッ、と見やる。声には出さないが、そんな言葉が聞こえてきそうだ。
レナが柱の傷を見るその目は口以上に喜びを語り、あからさまに輝いている。
「ねえちゃん、にいちゃんは?」
今はとにかくこの場から離れたい。それに口実ではなく、アーウィンに相談したいことがある。
「いつもの部屋にいるわよ」
レナは村人の一人であるメリィという女性が人聞きの悪い言い方をすれば捕まえている。非常に明るく元気な性格で特徴的な訛りはお笑い好きによるものだ。レナが村に来た当初から央魔ではなく一人の女の子として構い倒している。
このままメリィはレナを離さないだろう。レナも楽しそうに笑いあっている。
フレディはそのままメリィにレナを託し、「行ってくる」と一言だけ告げてアーウィンの元へと走っていった。
声がする。レナから離れる自分に向けた声が。
それはレナの声でも村人の誰の声でもない。
フレディを呼び止めるための声ではない。
いや、本当は起きてからずっと、村人たちと戯れている時でさえその声はあった。
あえてその声を無視し続けて足を速める。
鬱陶しく血の奥から呼びかける己の声を。
―――― 血を もっと 血を