あの惨劇から5年、フレディの生命を繋ぎとめていた央魔の血の効力は尽きようとしていた。

―――― 血を  もっと  血を 

 暗いばかりの空間に鮮やかな赤。血はどこから落ちたのだろう、間隔をあけてついていた血痕は次第に間隔が狭くなり量が増えていた。
 禍々しいばかりの声が響く。辺りには誰もいない。自分の体すら見えない。確かに自分は歩いてこの空間を徘徊しているはずなのに。自分の手をわずかに挙げ手のひらを見ようと試みるがそこには周囲と同じく黒があるばかりだ。
 触覚よりも己の血管を筋に血が体内を巡り続けている感触の方が鮮明だ。
 生きている者ならば意識もせずに行われている生命活動が今はひどく気持ちが悪い。心臓をポンプに両手足のつま先を辿り、咽にも背中にも脳にも皮膚の下で血が滑りあるいは這い上がる様を何故こんなにも意識できるのだろう?

―――― 血を  もっと  血を 

 ああ、なんてうるさい。
 この声はどこから響くのだろう。

 血の後を辿れば、赤い液体の中に倒れこむ二人の人影があった。
 あまりに暗いからここからでは黒の塊でそれが人の形をしていることしかわからない。その人影が何をしているのかも判別がつかない。一見すれば倒れこんでいるように見えるが、冥使が床に撒き散った血を啜っている可能性もある。かつてそんな光景を見たことがあるためそこは慎重に歩み寄った。
 この声はあの人影のどちらか、あるいは両方から響いているのではないか?そんな警戒があの二つの人影を人間よりも冥使……特に冥使に入触をされた元人間を強く想定する。
 音を立てずに慎重に。そう進みたいのに体内をめぐる己の血の感覚がうるさくてきちんと足音を消せているのか少々不安がある。長年の祓い手としての経験を信じるしかなかった。
 この空間は不思議と血ばかりを明るく鮮やかに見せる。人影に近づくにつれ血の光を浴び「倒れている」二人の正体が明らかになっていく。同時に己の血の巡りが以上に早くなっていった。

 体つきから十代前半あたりのまだ幼さを残す二人だとわかる。
 服装から男女だとわかる。
 少年の頭は局所的に内側から砕かれ頭蓋骨の欠片と脳の一部が見えていた。

「――――――――――っ!!」

 足を止めた。正体がわかったから。

 あの少年は自分だ。
 5年前、レナを庇って入触を許してしまった。レナを守ったことに何の後悔もないが、入触された以上は自害をするしかなかった。銃口を銜え自らの脳を吹き飛ばした。
 それから数時間後、影を制し全てに決着をつけたレナは裂けた咽や背中から多量に出血をしたまま灯火堂へ戻り、最期を隣で迎えようとした。
 その時、血の海の中で二人の血は混ざり合い、肉体を蘇生させ天の国へと堕ちていくフレディの意識を強制的に引き戻した。

 これはその時の光景だ。

 まさに肉体が再生される瞬間。砕かれ散った細かな頭蓋骨のかけらも脳を組織していた肉片が元の場所へと戻ろうとしている。蠢くそれらは銃弾にはじけた箇所を不自然な動きで自然な形に戻していく。
 しかし途中で当時の光景からは恐らく……いや、確実に異なる動きを見せた。
 再生も途中なのにぴたりと骨と肉片の動きが止まったのだ。

―――― 血を  もっと  血を 

 声が強まる。
 だがそんなものに「うるさい」と叫ぶ気にはならなかった。
 叫んでやりたかったが目の前の光景に何も声が出せなくなったのだ。
 ポンプの音が早まり血の巡りが激しくなる。
 管を下る感触と這い上がる感触が、四肢全てに、胴に、首に、顔に、脳に、ざわざわと、ざわざわと。流れる汗が更に不協和音のように不愉快な感触をきたす。それでも尚、目の前の光景をただ見続けるしかできなかった。
 再生の止まった体は頭部にあいた穴から血と共に骨のかけらと肉片を追い出した。ただそれだけだ。それまでの動きをビデオの逆再生のように辿って行く光景はあるべき姿ともいえる。

―――― 血を  もっと  血を 

 ここにきて、その声は悲鳴のようにも感じた。
 だがその声に同情してはならない。
 禍々しさは変わらないのだから。

―――― 血を  もっと  血を 

 いや、違う。欲望と狂気が増している。
 飢えのあまり、世のすべてを呪う声。

―――― 血を  もっと

 この声はどこからきているのだろう。
 転がる二つの体は唇をわずかにさえ動かさない。

―――― 血を

 ビデオの逆再生は止まる。
 フレディの肉体からただただ頭部から口から血を流し続け当初の光景に戻った。
 しかし目の前の光景は留まることなく時を進み続ける。

―――― もっと  血を 

 目の前の『フレディ』の肉体は血の流れとともに蒼白になりやがて血を出し尽くす。
 それでも光景は止まらない。
 死体の肉は腐り行く。
 吐きたくなるような異臭を放ちながらズブズブと茶色く変色し、肉は削げ臓物は溶け、白い骨を剥き出しにしてゆく。

―――― 血を
―――― もっと  血を 

 声は強まり、脳を痛めるほど響き渡る。
 耳を塞ごうとして手先が、いや体の全てがひび割れるような痛みが襲った。
 耳に手を当てられずともここに来てわかる。
 この声は脳に直接響いている。違う。血管から……己の体を巡るすべての血から響いている。

 そしてこの声色は、声の主は――――自分だ。

―――― 血を  もっと  血を 
―――― 血を
―――― 血ヲ
―――― 血を血ヲ血を血を血を血を血を血を血を血を血を血を血を血ヲ血を血ヲ血を血ヲ血を血を血ヲ血を血を血を血を血を血を血を血を血を血を血を血ヲ血を血ヲ血を血ヲ血を